生活保護を抜けたい

生活保護受給中。大人になってから発達障害と診断されました。

毒親とは

私の家庭は一般的なものではなかったのかもしれません。

今振り返っても、やはり辛い記憶の方が多いです。

しかし、毒親と一括りに定義できるものでもないと思っています。

とくに母に関しては、母なりにできることを精一杯やってくれましたし、今も家族の要でいてくれていると感じています。

 

母はDV家庭で育ち、居ない子として扱われ、学校でもいじめの対象となり、十代で一人で家を飛び出し、懸命に生き抜いた。

大人になって結婚・出産をし、私たちを育てるうえでもさまざまな苦難があったでしょう。

子供がそのまま大人になったような父親と比べて、母は私たちを育てるという意識をきちんと持っていたように思う(父は父で発達段階に問題があったのでしょうが)。

 

母を捌け口にしたこともありました。

絶対に言ってはいけないこと、してはいけないことをしてしまったこともあります。

私も十分に大切にされていたとは言い切れません。

洗濯物は溜まり、食器は溢れ、衛生観念に問題がありました。

私の心に関心が向けられることは無く、ネグレクトに近い状態でした。

「ご飯さえあげていれば勝手に育つと思ってた」とぽつりと溢していたこともあります。

子供の愛し方が分からなかったのだろうなと思います。

 

私も未だに私自身の愛し方が分かりません。

けれど、「よく頑張った」と言ってあげたい。

言ってあげてもいいのかな。

未来の自分に期待をしていきたい。

ニーバーの祈り

神よ、変えられるものを変えられる勇気を

変えられないものを受け入れる冷静さを

それを見分けられる知恵を授けたまえ。

 

変えられないものに沢山遭遇してきました。

そのたびに無力感に苛まれ自分を責めたり、恨みや怒りに蓋をしてただただ諦めたり。

受け入れる冷静さがあれば、選択を間違えることなく生きてこられたのかもしれません。

変えられなかったものは変えられるものだったかもしれません。

しかしそれらの過去はもはや変えられないもの。

このニーバーの祈りに、否もっと多くの叡智に触れていれば、今の苦しみは軽減されていたのかも。

 

これからの未来変えてゆくことはできるのかな。

何を変えていけるだろう。

生活保護と就労と遠方の親

生活保護を受給している。

自分の発達特性に、人生半ばにも差し掛かった頃に気付き、福祉制度の利用に行き着いた。

生活保護受給者は楽な生活をしているだろう」と思われがちかもしれないが、少なくとも私はそうではない。

 

毎日の食費・就労への焦り・遠方の親の心配。

ネットも使用でき、住居も何もかもないという方と比べれば相対的には幸せなのかもしれないが、気掛かりなことをずっと心の中で抱え続けるのはなかなかに疲弊する。

何より遠方の親や友達と好きなときに連絡が取れない・会えないという内的な問題。

体調を崩している両親や犬やきょうだい、実家で過ごしていた頃の記憶が蘇ってくる。

実家に帰ればいいと言う人もいるかもしれないが、仕事の選択肢もなければプライベートもない、車必須の地域で自動車購入の資金調達。

 

諸々を考えれば、都会にいて行政の力を借り、少しずつ経済的基盤を整え実家へ資金援助できるまで留まったほうが良いと現状判断している。

最終的には、行政の力を借りずとも自立していけるよう精神的・経済的自立を目指していきたい。

それまで両親には何とか持ち堪えてほしいと願うばかりである。